本来の仕事の見つけ方とそのために必要な教育環境

教育

こんにちは。
本日は、本来あるべき仕事の見つけ方とそのために必要な教育環境についてお話しします。

ライフワークとは

まずはじめに、人生を充実させる仕事の定義としてわかりやすい表現がありましたので紹介します。

ライフワークとは、君のエネルギーが全開になっている状態だ。
自分が心から楽しんでいて、充足している。
(中略)
一言でいえば、その人らしさが、100パーセント表現できているかどうかだ。

こちらは以前にこの記事で紹介しました本田健さんの『ユダヤ人大富豪の教えIII 人間関係を築く8つのレッスン』という本に出てくる一節です。

いかがでしょうか?
おそらくライフワークを生きていると言える人は、幼少期からの夢を実現したスポーツ選手や一部の経営者、または本当に好きなことを仕事にしている人くらいではないでしょうか。
少なくとも私は会社員時代に楽しんで仕事をしている人を一度も見たことがありませんし、独立して以降もそういうレアケースの人以外には見たことがありません。

幸せに成功するために

それでは次に幸せに成功してライフワークを生きるために大事な要素を紹介します。

幸せに成功したければ、自分が大好きなことを仕事にしなさい。

こちらは、本田健さんの『ユダヤ人大富豪の教え 幸せな金持ちになる17の秘訣』に出てくる一節です。
「ユダヤ人大富豪の教え」シリーズではシリーズを通して共通した教えとして『自分が大好きなことを仕事にする』という要素が書かれています。

ここで重要になるのは、『大好きなこと』という部分です。
比較的好きとか、結構好きというレベルのものではなく、寝食を忘れて没頭できるくらい大好きなことになります。
もちろん、好きなことだけして楽して儲けるなんて話ではありません。

そもそも論として、そこまで大好きと言えるようなものがある人が少ないのではないでしょうか?
多くの家庭ではそういうものを見つけるきっかけがなく、漫然と学校に行って同調圧力の強い判を押したような教育を受けて、気づけば社会人になって特に大好きでもない仕事に追われている人ばかりだと思います。
同書の中でも『大好きなことがわからない』という若い頃の本田さんに対して、メンターから次のように述べられています。

周りの望むことを上手にこなす人生を生きてきたなら、自分が何者かわからなくなるのも当然だ。
好きなことをやって生きるなんて見当もつかないだろう。
言ってみれば、自分と他人との境界線がないんだな。それは一種の病気だ。

日本は島国で単一民族国家のため、文化や価値観が基本的に共通しているから平和であるという長所もありますが、一方で村社会とも言われるように、個性を発揮したり、他人と違うことをすると排斥されやすい国です。
だから、親や教師、他人の目ばかり気にして、言われるがままに生きてきたという人が非常に多いと思います。
そういう生き方をしているとそもそも自分が何を好きなのかもわからないという訳です。

教育を変えるべき点

社会人になってからでは「時間が取りにくいこと」や前述の「自分が何者かわからない」状態にすでに陥ってしまっているケースが多いことから、『大好きなこと』を見つけるのは大変でしょう。

もちろん、同書の中で次のように述べられているように、社会人になってからでも『大好きなこと』を見つけることは可能だとは思いますが、簡単ではないと思います。

処方箋は、自分の好きなことを日常的に少しずつやることだ。
小さい頃から自分が好きだったことを思い出して、それをやってみることだ。
思わぬところから、自分の人生のヒントを見つけるだろう。

なので、変えるべきは学校教育だと思います。
まず、小学校から高校までの教育で無駄な科目を省いて、その時間を『大好きなこと』を見つける時間に充てるべきでしょう。

実際、今、社会人として働いている人の中で学校教育で勉強したことが役に立っている割合は10%にも満たないのではないでしょうか。
私はIT系で理系出身ですが、数学ですら四則演算がわかれば十分で、偏微分や複素数平面などは一度も使ったことがありません。
地理や歴史も同様です。今の時代、調べればすぐわかる程度の内容を長時間かけて詰め込み教育で覚えて、ペーパーテストで暗記力を比較して何の役に立つのでしょうか。
歴史を学ぶというのは大事だと思いますが、誰が何年に何をやったということだけ羅列して、どういう時代にどんな目的があって行われたのか、それによってどんなことが生じたのかに触れないで年号だけ覚えても役には立たないでしょう。

英語についても6年も細かい文法まで勉強しますが、英語が話せるという人はこちらも10%にも満たないと言われていますよね。
以前、アメリカ人と話した際に驚愕したのですが、私が過去完了系の文法を使ったときに『僕たちは日常会話でそんな難しい文法は使わない』と言われたことがあります。
つまり、英語論文を書くわけでもなければ使いもしないものを何年もかけて勉強して、肝心の会話は日常会話も出来ないという本末転倒な状況な訳です。
日常会話レベルであれば最低限の基礎的な文法さえ知っていれば、1年も留学すれば十分に話せるようになりますし、ビジネス英語であっても3年もかからないでしょう。

個人的には、旧来の実用性を無視した形式だけの教育や受験制度はやめるべきだと考えています。
ベースは下の一覧に絞って、その上で成功哲学やリーダーシップなどの仕事で生きる知識や、政治、税金、介護、国際情勢、自国と他国の文化・宗教などの教育があればいいと思います。

  • 授業は算数と国語と英語、道徳のみ必修とする
  • その他は選択式で興味のあるものを子供が選択できるようにする
  • 英語は3歳までにネイティブの授業を設け、中学卒業までに1年以上の留学(単位取得)を義務付ける
  • 様々な企業の職業体験、経営者やスポーツ選手による講演会など、実際の仕事のイメージが湧くような時間を設け、選択式のそれぞれの授業とどう繋がっているか、勉強にどういう価値があるかがわかるようにする
  • 自然に触れる野外学習
  • IT教育(その時代に応じたプログラミング教育)

留学や職業体験、野外学習を入れているのは、感性の鋭い子供のうちに座学よりも出来るだけ多くの実体験をしたり、日常の外の世界に触れることで、そこから感じ取って自発的に学んだ方が身に付くと考えているからです。

また、現行の受験制度をやめるべきという点については、実用性のない暗記力テストのために時間をかけるべきでないという点と、正解ありきの答え探し教育が良くないと思うためです。
社会に出たら正解が決まっている問題は基本的にありません。
答えがわからない中で、どうすれば問題解決出来るのかということになります。

加えて、受験制度は個人の能力を伸ばしたり測ったりすることにフォーカスしており、個人間での競争ばかりさせていますが、実社会ではほとんどの仕事が競争ではなく複数人で協力して作り上げるものですよね。
競争の結果としての学歴も、他人を見下したり、あるいは逆に劣等感を抱いたりする要因になり、こうした上下関係は協力を阻害する原因にもなるでしょう。
なので、学歴競争をさせるよりもその子の好きなことを追求することや、協力することの価値、チームワークについて学べる時間を増やすべきだと思います。

最後に

これは、黒柳徹子さんの『窓ぎわのトットちゃん (講談社青い鳥文庫)』を読んだ際にあらためて感じたことですが、人間は自分で体験したことからしか理解は出来ず、生きた学びにはなりません。
他人から聞いて分かった気になったことは、知っているだけで理解は出来ていません。

だからこそ、座学よりも体験が大事ですし、様々な体験の中から本当に『大好きなこと』を見つけて、全身全霊で打ち込むことでライフワークになり、幸せに生きていけるようになるでしょう。

そして、我々大人たちの役割は、子供たちが様々なことにチャレンジできる環境を整えて提供することだと思います。
教育の枠組みを整えて、親や周りの大人が子供に肯定感を与えさえすれば、後は自発的にどんどん学んでいってグローバルに活躍できる人材も多数輩出できるはずです。

私も微力ながらそんな社会の実現に少しでも寄与できればと思います。
それでは本日はこの辺りで失礼します。

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